Nature Around Takarazuka

兵庫県宝塚市周辺の自然や、川柳などの雑記帳

 今日は一日中休みで、だらだらと過ごしました。九月中の完全休養日はもうあと一日しかないから、つらつら、つらつらと考え事に浸って過ごしました。以下は、超個人的なことでありまする。

 

 八月の某夜遅く、蒸し暑い町中を自転車で帰宅する途中、無性に酒が飲みたくなった。欲求というより、衝動である。

 実のところ、私は特に理由もなく、7年ほど前から酒をやめている。それまでは毎夜、寝る前に必ず飲む習慣があったのだけど、ドクターストップもなく、飲んで暴れて周囲に迷惑をかけたわけでもなく、ただ何となくやめてしまった。以来、正月にお神酒としてお猪口一杯を口にする程度はあったが、禁酒生活が続いている。

 さて、その某夜、自転車を停めてしばし考えた。飲んでもいいのである。すぐそこにコンビニがあって、酒類販売をしている。理由なく飲んでいないだけなのだから、理由なく飲むのを再開しても、何の問題もない。でも何だろうな、大した理由もなく飲んだら「負け」のような気がした。結局、その夜は真っ直ぐに帰り、低脂肪乳を飲んで寝た。何年も禁酒は続いているので、衝動をやり過ごすのも慣れたものだ。

 

 そんなこんな、飲酒は私にとって、一つの懸案事項である。仕事先やボランティア関係の宴会に参加する際も飲まないのだが、「何故?」と訊かれたときに明確な答えがないので、微妙な空気が生じたりもするのだ。さすがに今は飲酒を強制する時代ではないので助かっているが、やはり理由があった方が良いよなって思う。今更ながら、特に自分にとって納得できる理由が欲しい。

 そして、つい先ほど、思い出したことがある。昨年末、ボランティア活動を終え、小さな宴会になった際、飲まない私を見て、ボランティアのそして人生の大先輩が「願掛けでもやってるんか?」と、訊いてきた。その際は、「いいえ」と返事をしたのだが、願掛けで断ち物をするってのは悪くない考えだぞと思ったのだ。

 

 と言う訳で、禁酒生活から多分7年ほど経っていて、かなりの時間差があるのだが、本日をもってこの禁酒は願掛けによるものだとすることにする。今後の人生で、メッチャ良い事が起こったら、その日から飲酒再開します!

 疲れたから、ストレスが溜まったから、ヤケで飲むというのでは、これまでの約7年が無駄になってしまう。人生最良の日が今後来たら飲む。それが一番良いのではないか。きっと7年前の自分も納得してくれると思う。

 

 ただ、私にとっての人生最良って何だろう? 自虐臭くて申し訳ないが、私は結婚してない、子供いない、金ない、名誉ない、定職に就いてない、今の仕事先では昇進も昇給もない・・・。普通の50歳の男なら期待できる将来の良き日が来る可能性が、私にはほぼない。その一方、道端の雑草を見るだけで楽しめるし、競馬で少額増やすだけで興奮もするし、素敵な本や言葉に出会えたら無上の喜びを感じるのだから、幸せのハードルは極めて低い人間でもあるのだ。

 そんなオッサンの人生の終盤戦には、何が起きるのか? 面白い雑草を見つけた程度の喜びで飲酒再開する気はないから、禁酒の願掛けをしたまま死ぬ可能性が高いのだが、それはそれで面白い。さて、どうなりますやら?