Nature Around Takarazuka

兵庫県宝塚市周辺の自然や、川柳などの雑記帳

ヨコグラノキの実

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ヨコグラノキの実 2020年9月14日 兵庫県宝塚市

 

 

naturearoundtakarazuka.hatenablog.com

 

 

 六月の最初に書いた記事の続編となります。

 なかなか花も実も見たことがなかったヨコグラノキ。六月のボランティア活動再開時に、花を遠目ながら見ることが出来て嬉しくて、リンク記事を書きました。ところが、なんとその木が夏に強剪定されてしまったのです。道路に覆いかぶさるように枝が伸びていたので、仕方ないとはいえ、貴重種で樹名板もついているのだから、少しは考慮してほしかったな。まあ枯れてしまう事はなさそうな伐られ方ではあるけれど。

 それで実を見るのは諦めていたのですが、会の先輩が別の場所にもっと大きな木があるよと連れて行ってくれました。すっごく助かったし、嬉しかったです。実は盛夏に成るとのことで、もう終わりかけだったようですが、いくつか残っておりました。でもやはり手の届く範囲での結実はなし。双眼鏡で眺め、望遠で写しました。

 真夏にこんな赤系の実をつける木って、少ないと思います。木が赤い実をつけるのは、鳥に食べてもらって、離れた場所に種を運んでもらいたいから。木の実そのものが少ない時期ですし、果実が好きな野鳥には人気があるのかなって想像するのですが、どうなのでしょうね。それともこの時期、野鳥たちは餌となる昆虫が多いから、木の実には見向きもしないのでしょうか? ヨコグラノキは、それほど多くはありません。ということは、赤い実を真夏に付けるという戦略は、あまり上手くは行ってないという事なのかなあ?

 

 

森上信夫「オオカマキリと同伴出勤」

 

オオカマキリと同伴出勤―昆虫カメラマン、虫に恋して東奔西走

オオカマキリと同伴出勤―昆虫カメラマン、虫に恋して東奔西走

  • 作者:森上 信夫
  • 発売日: 2020/07/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 前回の記事で、スズメバチに刺されたことを川柳にしたいが作れない、と書いた。創作が出来ない時には、どうしたらよいか? 私の場合の答えは、「読書をすればよい」である。インプットがなければ、アウトプットもできない。最近、忙しくはあるが図鑑はずっと眺めている。時々、園芸雑誌の写真や記事も眺めている。でもどうやら写真よりも、言葉をわが脳は求めているのだろう。そんな訳で、久々に読書をすることにした。

 

 昆虫カメラマンによるエッセイ集である。大学職員をしながら、昆虫カメラマンでもある著者が、兼業であるからこそ生まれる苦労譚を、とても読みやすい平易な文章で書いてくれています。全くレベルは異なるが、私も今の生活の中に、どう自然観察や山のボランティアを組み込むかで頭を悩ませているので、共感できる部分がいろいろありました。結局は、徹夜の連続など、力業で著者は乗り切っておられ、体力のない私には真似のできない世界ではあるんだけれど。

 

 中で一番興味深かったのは、「カメラとの出会い」の章である。

 

 ぼくの撮る昆虫写真は当初からまずますのレベルで、夏が終わる頃には、これなら図鑑に載せてもそれほど見劣りしないのでは・・・と思えるほどになっていた。

(中略)

 フレーミングがよいというのは、「虫屋」としての経験値から来るものだろう。いつも虫を見る視線が、意識せずともその虫を魅力的に見せる「萌え」アングルであったり、似ている種とのわずかな識別点を見通せる角度であったり、カメラなしでも、すでに最適なポジションから虫を見る訓練ができているのだから、あとはその位置でシャッターを押すだけなのである。

 

 なるほどなあ!

 著者は自分を「ヘタレ」と何度も書いてはいるが、もちろん心の底には自信が漲っておられ、それが読者にも伝わってくる。その自信は、幼いころから虫をずっと観察し続けてきた経験から来るのだろう。人生の中で、虫を見る視線を鍛え続けて来られた訳ですね。すぐに標本を作ってその数ばかりを増やすのではなく、自然の中で生きる虫を見る視線を鍛え続けて来られた。その鍛錬の積み重ねが写真となって、私たちの目を楽しませてくれ、ワクワクさせてくれる。なるほど、なるほど、これは面白い。

 私は自然観察好きとしては、相当の後発であるから、著者に追いつくことなで到底できないけれど、刺激になりました。ちょうど良い時に、ちょうど良い本に出合うことが出来ました。有難うございます。

 

 

 

スズメバチ

 スズメバチに刺されました。唇と、そのすぐ下と、右肩の三か所。

 火曜日にボランティアの山作業に行った際、ササ刈りを刈り払い機でやりました。そこで目の前に巣があるのに気付かず、やられてしまったのです。

 たぶん、コガタスズメバチだと思うんです。巣の形や大きさが根拠ですが、確認はしてませんので、「たぶん」。

 実は、はじめて刺されました。スズメバチどころか、ミツバチやアシナガバチにもやられたことはなかった。山で作業をいろいろするようになったのは去年からですが、山歩きや自然観察は20年以上になるのだから、私は一生蜂に刺されぬままだと思ってたのですけど、甘かったですね。

 口周りの二か所は、すぐに手で絞り出して毒出し出来たせいか、それともコガタスズメバチであったから毒が少なかったのか、はたまた私自身の体質なのか、翌日まで痛みはあったものの、大して腫れることはなかったです。それでも食事はしにくかったですけどね。肩は、ポイズンリムーバーを使うタイミングが遅かったせいか、二日経った今も、痒みが残ってます。でもまあ、大したことはありません。ちなみに、医者には行きませんでした。

 

 私にとって、自然は学校です。これも自然を理解するには必要な痛みなのでしょう。だから、受け入れます。ただただ「痛かった」で終わってしまうのは勿体ないから、これを糧にさらに勉強するつもりでもあります。転んでもただでは起きません。。。

 でもさあ、今年は、マダニにやられ、スズメバチにやられ、忙しくて山に入る日数が激減している割には、個人的事件が多いんだよな。参りましたよ。これで最後だといいんだけどなあ。

 

 ところで、スズメバチに刺された事を川柳にしようと、この二日間考えているんだけど、出来ないんだ。そんな自分に腹が立つ。

 

 

ノブドウ

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ノブドウ 2020年9月4日 兵庫県宝塚市

 

 暑いです。今日も猛暑日になる予報です。体は暑さに慣れてしまって、最高気温35℃だと少し楽には感じるのですが、やはり疲れは蓄積しているのでしょう。目覚めが悪い。私としては、日中の暑さはともかく、朝晩が涼しくなってほしいの一念です。ずっと熱帯夜なので、疲れが取れません。

 さて、昨日は、山のボランティアに行ってきました。この9月は、休みの日程とボランティアの日程が上手く噛み合っていて、天候に問題がなければ、5日間の活動に参加が可能です。調査活動も含めると、月7日間も参加できます。肉体的にはきついけれど、心の健康を考えると森の中で体を動かすのが一番だから、楽しみな一か月なのです。10月以降は、参加できる日がかなり減ってしまいそうだから、余計に貴重な時間を充実させたいと強く願っております。そんな楽しみだった昨日、活動地に入る手前で、ヤマカガシ君(写真なし)が出迎えてくれました。楽しむだけじゃ駄目だぞ、注意もしろよと、毒蛇が警告を発してくれたようです。心して受け止めねば。

 昨日見かけた花は、クサギ、クズ、ヨシノアザミツルボ、オトコエシ、ヒヨドリバナ、コアカソ、キツネノマゴ、ガガイモといったあたり。そろそろ夏と秋の端境期ですね。そして、色づいているノブドウの実も見つけました。道端が宝石箱のようにノブドウの実で彩られる秋らしい日を、心待ちにしております。

 

 今日は一日中休みで、だらだらと過ごしました。九月中の完全休養日はもうあと一日しかないから、つらつら、つらつらと考え事に浸って過ごしました。以下は、超個人的なことでありまする。

 

 八月の某夜遅く、蒸し暑い町中を自転車で帰宅する途中、無性に酒が飲みたくなった。欲求というより、衝動である。

 実のところ、私は特に理由もなく、7年ほど前から酒をやめている。それまでは毎夜、寝る前に必ず飲む習慣があったのだけど、ドクターストップもなく、飲んで暴れて周囲に迷惑をかけたわけでもなく、ただ何となくやめてしまった。以来、正月にお神酒としてお猪口一杯を口にする程度はあったが、禁酒生活が続いている。

 さて、その某夜、自転車を停めてしばし考えた。飲んでもいいのである。すぐそこにコンビニがあって、酒類販売をしている。理由なく飲んでいないだけなのだから、理由なく飲むのを再開しても、何の問題もない。でも何だろうな、大した理由もなく飲んだら「負け」のような気がした。結局、その夜は真っ直ぐに帰り、低脂肪乳を飲んで寝た。何年も禁酒は続いているので、衝動をやり過ごすのも慣れたものだ。

 

 そんなこんな、飲酒は私にとって、一つの懸案事項である。仕事先やボランティア関係の宴会に参加する際も飲まないのだが、「何故?」と訊かれたときに明確な答えがないので、微妙な空気が生じたりもするのだ。さすがに今は飲酒を強制する時代ではないので助かっているが、やはり理由があった方が良いよなって思う。今更ながら、特に自分にとって納得できる理由が欲しい。

 そして、つい先ほど、思い出したことがある。昨年末、ボランティア活動を終え、小さな宴会になった際、飲まない私を見て、ボランティアのそして人生の大先輩が「願掛けでもやってるんか?」と、訊いてきた。その際は、「いいえ」と返事をしたのだが、願掛けで断ち物をするってのは悪くない考えだぞと思ったのだ。

 

 と言う訳で、禁酒生活から多分7年ほど経っていて、かなりの時間差があるのだが、本日をもってこの禁酒は願掛けによるものだとすることにする。今後の人生で、メッチャ良い事が起こったら、その日から飲酒再開します!

 疲れたから、ストレスが溜まったから、ヤケで飲むというのでは、これまでの約7年が無駄になってしまう。人生最良の日が今後来たら飲む。それが一番良いのではないか。きっと7年前の自分も納得してくれると思う。

 

 ただ、私にとっての人生最良って何だろう? 自虐臭くて申し訳ないが、私は結婚してない、子供いない、金ない、名誉ない、定職に就いてない、今の仕事先では昇進も昇給もない・・・。普通の50歳の男なら期待できる将来の良き日が来る可能性が、私にはほぼない。その一方、道端の雑草を見るだけで楽しめるし、競馬で少額増やすだけで興奮もするし、素敵な本や言葉に出会えたら無上の喜びを感じるのだから、幸せのハードルは極めて低い人間でもあるのだ。

 そんなオッサンの人生の終盤戦には、何が起きるのか? 面白い雑草を見つけた程度の喜びで飲酒再開する気はないから、禁酒の願掛けをしたまま死ぬ可能性が高いのだが、それはそれで面白い。さて、どうなりますやら?

 

 

順番(川柳、その65)

 

 子供時代、学校で予防注射を受ける際は、五十音順の出席番号順でやっていた。ア行の秋山さんなんかは一番最初に受けさせられ、ワで始まる和田さんなんかが一番最後。私の苗字はヤ行だから、かなり最後の方でしたけど、一番最後になることはなかったと思う。予防注射に限らず、出席番号が前の方だと、何事も先に先にやらされて、後の方だと前の人間の反応を見て心の準備をしつつ、自分の順番を待つ余裕があった。こういうのって、案外、子供の性格形成に影響があるんじゃないかと思う。

 新型コロナに関して、素人だから分からぬことだらけではあるが、一生罹らずに済むということはないんじゃないかと思う。気を付けていても、ほとんどの人がいつかは罹る。インフルエンザのように。苗字がヤ行の人間としては、周囲の人間の八割方が罹患済みになった頃に、目立たぬように罹るのが理想(?)だ。その頃には、治療法が確立していて、周囲の目も気にならないようになっていて、肉体的にも、社会精神的にも、楽に罹れるようだといいんだけどな。逆に、現在50歳だから、罹った時には高年齢化してしまっていて、今罹るよりも、酷い目に遭う可能性もある。はてさて、どっちに転ぶんでしょうね?

 

 

最初は嫌そして最後もやっぱり嫌

 

 

キツネノカミソリ

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キツネノカミソリ 2020年8月17日 兵庫県宝塚市

 

 この八月の自然観察で、一番嬉しかったのは山中でツクバネガシを見つけたこと。植物園で見たことがあるだけの木だったので、自生を見ることが出来て嬉しかったです。しかし、写真が・・・ 猛暑日に、苦労して急坂を上がった先で見つけたんだけど、直射日光があまりにも強すぎて、ちゃんと写っておりませんでした。悲しい。まあ、九月にも同じ道を通る予定なので、その時に再挑戦します。

 と言う訳で、同じ日に咲いていたキツネノカミソリの写真を載せておきます。

 次回の更新がいつになるか分からないけど、秋らしい自然の話題を届けられるようになってたら嬉しいな。